できる事をやるしかない

アラフォー妻子持ち医師のなんとなく思っている事

腎臓について知っておいて欲しいこと 〜腎臓のお仕事編〜

私一応腎臓内科医です。
普段、患者さんと接していて「これはみなさん知っておいていただけると話がラクなんだけどなぁ」と思っていることを少しずつ書き残していこうと思います。

 

基本的にはここにわかりやすくて書いてあるのですが、自分の言葉で記すとこんな感じです。

腎臓のはたらき|NPO法人腎臓サポート協会

 

 腎臓の働き

・腎臓は尿を作っています

・腎臓はホルモンを作っています 

 

医者としては「腎臓には大きく4つの仕事がある」と習いますが、もっとわかりやすくざっくり分けると2つの仕事に分かれます。

「尿を作ること」「ホルモンを作ること」です。

 

 尿を作る                 

 尿には体にとって不要なもの、余っているものなどが捨てられています。過剰な塩分、過剰な水分など肉や魚などのタンパク質から出た不要な窒素(アンモニア尿素)などが捨てられます。また、日々行われる代謝の結果生じた老廃物、毒素によって体の中は酸性になりやすいのですが、これを中和して酸性にならないようにしているのも尿を作る過程で行われています。

 

普段意識することはないと思いますが、薬や毒素の多くも腎臓から排出されます。薬の影響で腎臓が悪くなったり、腎臓が悪くなると薬の作用が強くなりすぎたりします。

 

 

ホルモンを作る              
 エリスロポイエチンという赤血球を作るのを助けるホルモンを作っています。腎臓が悪くなると、このホルモンが減ってしまい貧血になりやすくなります。

 血圧を調節するレニンというホルモンも作っており、腎臓の働きが悪くなると血圧が高くなりやすいです。

 

 

 

 

 

 尿の作られ方

・尿は血液を材料に作られています

・沢山の血液を材料にわずかな尿が作られています

 

 

血液から尿を作っている          

腎臓は血液をろ過して尿を作っています。脱水で血液の量が減ったり、動脈硬化などで血管が狭くなって腎臓への 血の巡りが悪くなると、腎臓は正常に働くことができなくなります。

糸球体と呼ばれる組織で血液がろ過されて、尿の元ができます。そこから必要なものは再び体内に取り込まれて、最終的に尿として排出されます。

 

沢山の血液をろ過してわずかな尿を作っている

腎臓がろ過する血液の量は1日約180Lと言われ、一方で1日の尿の量は一般的に1.5〜2.0Lです。実際に排出される尿はろ過した血液の100分の1くらいです。言い換えれば、腎臓は血液を材料に100倍ぐらいに濃縮して尿を作っています。

人間の血液の量は、体格にもよりますが、だいたい4L〜5Lです。腎臓では1日に全血液を30〜40回ほどろ過している計算になります。

この作業を腎臓は24時間365日休まずに行なっています。

 

腎臓は働きものの臓器ですね。

 

 

 

 

初心者DIY ランドリーラックを立ててみた

一戸建てマイホームを手に入れたらDIYをたくさんしたいと思っておりました。

洗濯機置き場にラックが無いので興味のあったらLABRICOを使ってみました

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完成図

 

定番は2×4材向けの商品ですが、そんなに重たいものは載せる予定がないことと、あまり存在感が出すぎないことを考えて、あえて1×4材向けの商品を使ってみました。

2×4材は厚みが結構あるのです。

 

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LABRICO 


これです。

商品説明に書いてありますが、あまり高い柱は立てられません。

1×4材は薄いので強度がないのです。

私は説明書に従わず、推奨される長さを越える2200㎜の柱を立てたので引っ張ると結構たわみます。

 

 

まずは枠組みをしました。

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これが一番苦労しました。

というのは、売っている木材は決してまっすぐではないからです。

アジャスターを柱の上にかぶせて、柱の下には付属のパッドを当てて、天井と床で突っ張るように立てるだけなのですが、木材が反っていたり捻じれていたりしてまっすぐ立たないのです。

木材自体をまっすぐに矯正するのが正攻法なのだろうと思います。まっすぐの板にクランプで固定してしばらくおけば結構まっすぐになるそうです。ですが普通の家で、2m近い木材を矯正のためにどこかに寝かせておくのはもう、いろいろ大変です。邪魔。しかも矯正のためのまっすぐな板も無いですし。

 

基本的には2本柱をたててそこに棚板を渡すわけですが、まっすぐではない2本の木材を平行に立てるのは難しい。2本の柱が平行になるように上と下を木材で固定しました。下は写真に写ってませんが。

ちなみに、1本の柱でも床に垂直に立てるのはなかなか難しいです。

 

 

柱が立ったら棚受けをつけます。

まずは棚の高さを決めます。作業のしづらい奥の柱に先に棚受けを仮止めします。

 

 

次に手前の柱に棚受けを付けます。

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棚板が水平になるように手前の棚受けの位置を決めます。

が、棚板と水平器を押さえながら作業するのは大変です。すぐにズレてしまうのです。このままねじ止めするのはかなり厳しいので、ネジを打つ位置だけペンか何かで印をつけます。両手を自由にして印に合わせて棚受けを付けます。

 

 

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棚受けに棚板を固定するのもちょっと面倒でした。

まずはネジうちの位置を決めて、下穴をあけて、棚板を上から軽く押さえて、下から押し上げるようにネジを打ちます。

 

 

これにて完成しました。

 

 

 

感想

LABRICOで柱を立てる、棚を作ることはできます。

LABRICOはお手軽なイメージがありますが、全然お手軽じゃなかったです。

まっすぐな木材があればもう少しやりやすかったと思いますが、どうしたもんでしょうかね。

 

初心者DIY トイレに棚作りました

うちのトイレにはモノがおける場所が全くなかったので、この棚を作りました。

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トイレの棚

 

 

これを使いました。

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平安伸銅DIY SHELF FRAME

 

いろんなサイトで「お手軽に棚が作れるよ」と紹介されていますが、実際使ってみるとそんなに簡単じゃなかったので、ご紹介です。

 

まずこんな風に壁に押さえてネジかピンでとめるのですが。

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言葉でいうのは簡単ですが、人には二本の腕しかないのです。

このように片手で押さえるともう片手でネジかピンを打たないといけません。

これが結構難しい。

ネジの場合、壁に下穴をあけておけば仮止め出来て少しやりやすいのですが、石膏ボードにピンでとめるのはかなり難しかったです。

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まず、ピンキャップとやらが割と簡単に外れてしまうのです。

先ほどのように片手は押さえているのでもう片手でピンキャップが外れないようにしてピンを刺さねばなりません。

しかもこのピンは細くて指では押しこめません。指に刺さります。コインで押しこめと書いてあります。

結構力が必要です。しかも、まっすぐではなく斜めに押しこむのです、これが難しい。

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しかもピンは根元までしっかり押しこまないとグラグラします。ある程度までは押しこめるのですが、残り数ミリが結構硬くて入らないのです。最後は金づちで打ちました。

 

 

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こんな風にフレームを2本設置するわけですが。

片方に合わせてもう片方の高さをそろえ無いと、棚が水平になりません。

この高さを合わせるのが存外難しいのです。

床には垂直に。フレーム同士は水平にならないといけない。

やってみると自分の不器用さに戸惑います。

 

 

結局、冒頭の棚を作るのに40分かかりました。

 

一つだけ確信したのは、ピンよりもネジのほうが設置しやすいです。

石膏ボードの壁に設置するときは壁に下穴をあけて、ボードアンカーを打ってから設置するとやりやすいということ。

 

次はもっとうまくやれる気がする。

 

 

アマゾンで「星5の商品」の裏側

先日一戸建てに引っ越しました。

2階に寝室、1階にLDK

目が覚めて隣で親が寝ていないと泣くうちの息子。

今まではマンションで隣の部屋で寝ている息子のお目覚めにはすぐに気がつきましたが、新居では先に下に降りて家事をしていると息子が起きても気づきにくいとのことでベビーモニターAMAZONで購入しました。

 

ケーブルが邪魔になるのでWifi接続できるモデルを購入したのですが・・・、どうしてもWifi接続できず、サポートに連絡しました。その時のメーカーの対応がなかなかの豪腕っぷりでしたのでご紹介しようと思います。

 

Amazonの質問欄で問い合わせ先を目にしたのでメールさせていただきます。 先日アマゾンで購入しました。
スマートホンに指定のアプリケーションをインストールし、ナビゲーション通りに設定を進めましたが、ルーターのパスワードを入力したあとで接続に失敗しましたと表示されてしまいます。Amazonの質問欄にあった解決方法は一通り試しましたが接続できませんでした。 なお、有線接続ではすぐに設定完了し、正常に動作しています。 出来れば無線で使いたいのですが、どのような対応策があるでしょうか

お客様 こんにちは。 Victureショップの●●と申します。 この度、弊社のカメラをご購入いただき、誠にありがとうございました。あなたの質問に関して、私たちは以下の回答をします。 1、古い「WEP」暗号化方式は対応しておりません。必ず「WPA2」暗号化方式をご利用ください。 2、WiFiパスワードは40文字以内で、特殊文字は使用できません。 なお、本商品はお買い上げ頂いた一年間が保証期間で、三ヶ月に新品交換と対応させていただきます。何かのご質問があれば、まず電子メールでご連絡ください。こちらは必ず最善を尽くしてお客様の問題を解決いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

返信ありがとうございます ルーターの暗号化方式はWPA/WPA2-mixed mode PSK以外選択できないのですが、これがWifi接続できない原因にはなるでしょうか。 パスワードの長さや特殊文字の使用は問題ないと思います。 もし、交換することでWifi接続できるのであれば交換をお願いしたいです。 AMAZONでの注文日は2019年1月2日です

お客様 こんにちは。 Victureショップの●●と申します。 注文番号と配送先住所を教えてください。私達はあなたに新しい機械をすぐに送ります。

 

(・・・質問には答えないスタイルですか!?)
ご連絡有難うございます AMAZONでの注文番号は ×××-9×53×89-82×98×7 でした。   注文した時の住所とは変わっており 現在は ×××−××× ××県××市××× 3−×××−10です   よろしくお願いします。

お客様 こんにちは。 Victureショップの●●と申します。 弊社のカメラをご購入とサポートいただき、誠にありがとうございました。 私たちはすでに出荷しました。 商品を受け取ったら、私たちに5星を評価していただけませんか。 ご多忙中、誠に申し訳ございませんが、お客様のご返事をお待ちしております。 今後はお客様に一層満足いただける商品とサービスを提供するように頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

(新しい商品をあげるから星5評価にしてというのはどうなんだ?)
迅速な対応、ありがとうございます。 届いた商品がwifi接続できれば文句なしに★5です。 仮に、wifi接続ができなくても、今回の対応は十分★5に値すると思います。 有線接続はできるので商品の故障でもないと思います。

お客様 こんにちは。 Victureショップの●●と申します。 どうもありがとう。レビューが反映されたら、スクショをお願いいたします。 あなたのコメントを楽しみにして。 寒いですから、保温に気をつけてください。

 

 このやり取りはわずか2日間で行われ、3日目には新しいカメラが届きました。また、先に届いていたカメラを返品するようには言われませんでした。1台分のお値段で2台手に入れたわけです。

そして、新しく届いたカメラも無線接続はできませんでした。

 

コレはきっと商品の問題ではなく、こちらの無線環境の問題だろうと思い、以前使っていたWifiルーターを試しに設置してみたら驚くほどあっさり接続されました。細かいことはわかりませんが、Wifiルーター側の問題で接続できなかったようです。

 

 

まとめ

結果的にカメラはWifi接続できましたが、サポートからは解決方法の提示はありませんでした。

問題解決ではなく、過剰なサービスで製品や会社の高評価を要求され違和感を感じました。

星5のレビューをしたスクリーンショットをメールで送れとはなかなか脅迫的です。

 

AMAZONでは非常に高評価の商品でしたが、その実このようなやり取りが頻繁に行われているのではないかと・・・勘ぐってしまいました。

 

おしまい。

 

下を向いて生きています。お医者さんになってもそれほどハッピーな毎日を過ごしていません。

センター試験の季節が来るといつももうそんな時期か、と一年が過ぎたことを感じます。自分の中では大学受験、医師国家試験がとても辛かった思い出として残っており、いつになってもこの時期が来ると当時のことを思い出します。自分がセンター試験を受けたのは18歳と19歳の時(一浪しましたので)ですが、気づけば40才間近、センター試験を受けるまでの人生よりも受けてからの人生の方が長くなりました。新聞で今年の問題を見ても、解けない問題ばかりになりました。使わない知識は忘れるもの、少なくとも、当時勉強した事は今の自分にはあまり必要のない知識だったようです。
 
医者になって15年が過ぎようとしています。医者になりたての頃は知らないことばかり、できないことばかりで、無知・無力に打ちひしがれ、不安にかられ、少しでも自分の気持ちが楽になるためにと思って知識と経験を増やそうと思いました。患者さんを良くするために、医者としての力量を磨いたわけじゃないの?と問われれば、患者さんの「なんとして欲しい」気持ちに対して、病気を治せない自分、苦痛の原因を突き止められない自分、医者としての期待に応えられない自分が、責められている様で咎められているようで、息苦しくて、そこから少しでも解放されたくて医者としての能力を高める努力をしていたと思います。
 
正直なところ、患者さんやそのご家族から叱責される事はあまりなかったですが、一緒に働く看護師さんからは「この医者こんなこともできないのか」という冷たい視線を感じることがしばしばでした(その看護師さんはそんな風に思っていないかったかもしれませんが、当時の自分は劣等感でがんじがらめになっていって、そういう風にしか考えられませんでした。)
 
今は医者としての立ち振る舞いや通り一遍の仕事はできるようになり、新しいことを知る喜びも減り、つらいことにもなんとなく慣れて感覚が鈍くなったような感じで漫然と働いています。医者としての毎日が精彩を欠くといいましょうか、5年位前からずっと同じところにたたずんているような感覚です。一方周りにはそうは映らないようで、病院の職員さん、身内親戚、友人、知人、およそ周りの人からは「お医者さんなんて羨ましい」と良く言われます。ですが、劣等感まみれの自分はお医者さんでよかったと感じた事はあまりないのです。
 
自分の力ではどうにもならない患者さんに出会ったとき、他の先生に相談し、力を借ります。そういうシーンはどこの医療現場でも日常茶飯なのでしょうが、もうこの時点で自分は劣等感の海におぼれるのです。ただでさえみんな忙しいのに、自分の力が及ばないばかりに他の先生の手を煩わせてしまった、自分は使えないやつだと思われているんじゃないかと思ってしまうのです。
できもしないことを抱え込んで、問題がこじれてから誰かに助けを求めるのは、人の命を預かる医療現場では最悪の事態です。ドラマなら「どうしてこんなになる前に誰かに相談しなかった!?」などと上司に罵声を浴びせられるシーンがありそうですが、そんな風に事態が悪化すると予想していたら当然、誰かに相談するわけで、取り掛かった時点では予測できない事態だったのです。
では、自分の経験や予測はアテにならないから、とりあえず何でも早め早めに誰かに相談しようとなると、いずれ思考停止になります。自分で考え出した推論が役に立たない前提なので、もはや考える意味は無く、自分の目にしたものを忠実に誰かに報告し意見を仰ぐだけの人間になってしまいます。それはもはや医者としての役目を失っています。結局、自分で判断を下せない医者は、誰かの仕事を増やすだけの使えないお荷物扱いです。
 
良くない状況に陥ったとき、周りが自分を非難しても、避けられない出来事だった、結果として状況は悪化したが、自分の下した判断は妥当だったと考える医者はたくさんいます。100人の医者がいて、90人が「それは間違っている」と評価するようなことを「自分は悪くない」と言い張るのはただの開き直りですが、結果だけをみて、後出しじゃんけんのように「こうしておけばよかったんだ」という意地の悪い医者もいます。
 
誰がやっても同じ結果を迎えただろう事についてはあまり落ち込む必要はないのだと頭では理解しています。ですが、劣等感まみれの自分は、もし自分でない他の医者なら勘が働いて、もしくは初めから正解を導き出していて、もっと良い結果にたどり着けたのではないかと考えてしまうのです。
 
患者さんの治療が上手くいって元気になったとき、患者さん・ご家族からお礼の言葉をいただくことがあります。ですが、わたし程度の医者が治せる病気は他のどの先生でも治せたでしょう。ひょっとしたら、何もせずとも時間がたてば自然と治っただろうものを、私がさも病気であるかのように診断したが為に、無用の治療を受けさせられたのかも知れないと私は憂慮するのです。
 
いつから自分はこの劣等感の海でたゆとうているのか、思い起こせば大学受験の時だろうと思うのです。
小学生の高学年で良い担任の先生とめぐり合い、勉強してテストでよい点数を取って、ほめられることがうれしくて、勉強が楽しくなりました。その先生が次にお世話になる中学の担任の先生にも声をかけてくださったようで、中学校で人前に立つような立場になるとは自分では考えていませんでしたが、生徒会へ参加させてもらったり、学力向上へ発破をかけていただいたりで、学年ですこしは知られる存在だったと思います。おかげさまで高校は県内有数の公立進学校へ進むことができました。
 
ですが、高校生にもなって、自分はまだ何も分かっていなかったのです。
それまでは、学校生活にしても勉強にしても、こうすると成長できるよ、と誰かが道を示してくれていて、自分では特に考えずただ言われた事をこなして成果を得ていただけでした。自分で計画し、目標を立て成功を収めたことは一度も無かったのです。
 
高校では同じ試験に合格した人たちばかりなので、自分だけ学力が高いということはなく、絶えず努力しなければ自分だけが取り残されていくことを分かっていませんでした。良い高校に合格したことになんとなく満足してしまい、ひどく悪い成績をとらなければそれなりに良い大学へ進めるのだろうと思っていたのです。
 
結果、高校3年生の大学受験は散々な結果で、一年浪人してかろうじて医学部へ進みましたが、受験を通じて、できる人間とできない人間はここまで差があるのかということを痛感しました。
身の程もわきまえず、医学部受験の時には東京大学や慶応大学などの超難関を目標に掲げたりもしましたが問題集を開いて愕然としました。問題が解けないのならばまだしも、設問の意味が分からないのです。
例えば「道の真ん中で子供が泣いています。あなたならどうしますか?」と聞かれれば、どうしてないているのか尋ねる、など答えようがあるのですが「あなたが正しいと思うことについて教えてください」と聞かれたら何から話せばいいのか悩みますよね。上手く表現できないのですが、文の意味自体は分かります、何から話始めて、どこに着地させれば上手く収まるのか、取っ掛かりが無さ過ぎて途方にくれるのです。
 
自分には意味すら理解できなかった問題に正解して合格する人たちがいるわけですから、もはやそこには越えられない壁があるとしかいいようがありません。あの受験勉強の時、自分は波にさらわれて劣等感の海におぼれたのだと思います。
 
幸いにもそれなりに有名な大学の医学部に進学し、悪くはない成績で卒業しましたが、今ここには居ないだけで桁違いに優秀な医者が世の中にたくさんいて、たいしたことない自分の精一杯の医療も、ある日そういう優秀な人たちに知られたとしたら、この医者はこんなレベルの低い診療をしているのかとあきれられるのではないかと思うと恐ろしいのです。
 
なんだかんだいっても、高校に入った頃から自分の進むべき道を見失った自分が愚かだっただけで、誰も悪くはないのです。自分が被害妄想にとらわれているだけで、優秀な多くの医者は私のような取るに足らない医者をとやかく言うよりも、他の先生が治せなくても自分が何とかしようと広い心で患者さんを助けてくれいるはずなのです。
 
医者を続けていればこの感情からは逃げられないと思います。とはいえ、仕事を変えたとしても劣等感はなくならないでしょう。同じことに携わるほかの人と常に比べて自分の至らなさを嘆くのはもはや染みついた生き方なのです。
 
この劣等感から解放されるには努力して努力してどこに出ても恥ずかしくない医者になるか、自分はコレでいいんだ、この程度の医者でも何とかやっていけるんだと開き直るしかなんだと思いますが、どっちもできないから未だにこんなことをつぶやいています。
 
できるだけ努力して、新しいこと正しいことを身につけようとは思っています。ですが、毎日のように新しい情報が目に飛び込んできて、あれも知らない、これも知らない、医療の世界には本当に自分の知らない事が沢山あふれているのです。世の中にはそれらを当然のように知っている医者もいるのです。自分には意味すら理解できない問題に直面したあの受験の時のように、今も自分には到達できないレベルで活躍できる医者が沢山いるかと思うと、立つ瀬がないのです。
 
今になって20年も前の大学受験のトラウマを引きずることになろうとは当時は思いもよりませんでした。つくづく、学生は勉強しておくものだといまさらに反省しています。

小さな保育園の向かいに立つ大きく立派な納骨堂

私は駅から徒歩10分程のマンションに住んでいます。

それなりのベッドタウンで、駅前にはスーパーや飲食店、少し離れるといくつかの学習塾、やたらとたくさんの美容室があり、夜10時くらいまでは人足もそれなりにある活気のある街です。

駅前でにぎわう通りの外れに、小さな保育園があります。雑居ビルの一階部分で、しっかりと観察した事はありませんが、コンビニくらいの広さでしょうか。仕事が早く終わった日の帰りには、お母さんと子供が手を繋いで家路につく愛らしい姿を見ることがあります。

 

数ヶ月前、その保育園の通りの向かいにたいそう大きく立派な納骨堂が建てられました。なにせ駅前の賑やかな地域ですから近隣住民の方からは、なぜこんなところに納骨堂を建てるのかと、反対の声もあったようですが、結果的には建ちました。向かいに建つ保育園の敷地の数倍はあろう敷地で、3、4階建てのマンションと同じくらいの高さなのです。

 

私の通勤経路なので、この数ヶ月間その通りを目にしていましたが、最近その景色を見るとなんとも言えない塞いだ気持ちになるのです。

もう、この世を去った人たちがこんなに立派な建物に弔われて、これから国を担う子供はこんなに狭いところで毎日過ごしているのだなぁと。なんとなく、日本の未来を感じるのです、これじゃ子供が増えるわけもないのです。

 

私は医者という仕事柄、日常的に人の最期に立ち会います。患者さんの多くはそれなりにご高齢で、兼ねてから自分に病気があることも分かっていて、いよいよ病状が厳しくなった時にも「もう十分長生きした」「今以上に治療の手を施してもらって長生きしたいとは思わない」など自分の最期を受け入れているかたがほとんどです。私には言わないだけかもしれませんが、この世に未練があったり、生前叶えられなかった願いをあの世では遂げたいと言うような願望を仰る方はほとんどいません。

 

生きた証、生前の苦労や活躍を労う、敬う、死後の安らぎを願う気持ちをないがしろにする訳ではありませんが、もし強く故人の冥福を願うのであれば、家に質素でも仏壇を置いて毎日手を合わせる方が、立派な納骨堂に納めるよりも、供養になるのではないかと思うのです。立派な納骨堂に納めました、年に数回お参りします、あとの供養は納骨堂にお任せします、というのは軽薄に思えるのです。

 

うまく表現できなくてもどかしいのですが、納骨堂が立派である必要がないと言いたいのではありません。この世での活躍を終えた故人が、こんなに手厚く弔われる事に対して、これから国を支えていくであろう子供達の学び舎である保育園や幼稚園は随分と扱いが悪いのではないでしょうか。

 

同じ場所にかたや大きな立派な納骨堂、かたや雑居ビルの一角にこじんまりとした保育園、経済やお金の事に詳しい訳ではありませんが、どう考えても納骨堂の方がお金が儲かっていて、保育園は利益が上がってないように見えるのです。葬儀ビジネスの良し悪しは問いませんが、それ以上にもう少し子供の成長をサポートする業種の金回りがよくても良いのではないでしょうか。

 

どんなに手厚くしても亡くなった方にこれからの国をよくしていく力はありません。そこに力を入れて経済効果が上がる仕組みよりは、これからの将来を担う子供に関わる業種が経済的にも人的にも充実して、関わりたい、よくしていきたいと思う人が集まってくれると良いのに、と思うのです。

 

健康や病気について教えてもらった事はありますか?

健康が大事、健康について関心を持って欲しい、ということを何度か書かせていただきました。多くの方は健康が大事なのは言われなくても分かっていると思われるでしょう。 それなのに、日本では高血圧が1000万人以上、肥満も1000万人以上、糖尿病も1000万人以上とたくさんの病気の方がいらっしゃいます。今健康である人はまだまだ自分が病気になる事はないだろうと盲信していたり、仕事や生活に追われてついつい健康管理は後回しなったりしていることもあるでしょうし、20年くらいは前は病気の考え方も今とは違っていた為、適切な治療や健康指導を受けられず、今になって生活習慣病と言われるようになった、というご年配の方も含まれていると思いますので、時代背景も一因とは思います。

 

そういう背景も踏まえて、そもそも、病気にならないこと、、健康が大切とは分かっていても具体的に何をどうすると病気をにならず健康でいられるのか、を知る機会はあまり多くないと思います。少なくとも、学校で数学、英語を習うように、義務的に健康について勉強する事はないのではないでしょうか。

 

健康とは何か、を具体的に説明するのは難しく漠然としてしまいますが、どんな病気に気をつけるべきなのかと考えてみると、結構シンプルです。

 

肺炎、脳梗塞心筋梗塞狭心症、癌など死因に関わる重大な病気から、膀胱炎、骨折、腰痛など多くの方が一度はかかったことのある病気まで病気の種類は山ほどあります。それらは単発で起こることもありますが、多くは基礎疾患と呼ばれる、「病気になりやすい下地」があります。例えば、もともと病気のない健康な方でも免疫力が落ちた時に急に肺炎になる事はありますが、糖尿病で免疫力が低い方、タバコで肺の働きが障害されている人の方が肺炎になりやすいですし、高血圧やコレステロールが高い人はそうでない人と比べると脳梗塞心筋梗塞狭心症になりやすいのです。

 

このような基礎疾患、病気になりやすい下地の代表格が生活習慣病、喫煙習慣です。数え切れない程ある病気全てに気をつけて生活する事は不可能ですが、生活習慣病と喫煙習慣をなおすことで多くの病気を遠ざける、予防することができます。まずは生活習慣病と喫煙が体にもたらす不利益を知り、ならないように気をつける点を理解しましょう。

 

生活習慣病を挙げると、高血圧、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)、肥満がその代表です。他にもいくつかありますが、この4つが注意すべき最優先です。4つもあると気をつける事も多いと面倒に感じるかもしれませんが、この4つについて気をつける事は共通していますし、ほとんどが二つに集約されます。

・食事に気をつける事

・運動する事

これに尽きます。

 

この先この2点の詳細について少しずつ考えを話していきたいと思います。

本日はここまで。