できる事をやるしかない

アラフォー妻子持ち医師のなんとなく思っている事

あのおばあちゃんはどうしているかしら

最近の出来事で、とても印象に残っているおばあちゃんの話です。

90歳も過ぎた高齢の方で足腰は弱く車椅子を使っておられますが、物忘れはほとんどなく、性格は穏やかで、病院のスタッフに「ありがとうね」「お世話になって悪いわね」と労いの言葉をよくかけてくださる方でした。その方がいると周りの雰囲気が明るく柔らかくなるような存在です。

 

初めてお会いしたのは5年ほど前になります。

腎不全を患い、息が苦しくなった為に入院され主治医をさせていただきました。

原因の腎不全がなかなかよくならず、やむなく血液透析を行って一命を取り止めましたが、ご本人は「申し訳ないからやりたく無いわ。もう十分生きたからそんなたいそうな治療をしていただかなくてもいいのよ。」とおしゃっておられました。

 

こちらはこのまま透析をしながら生活する病状になってしまうだろうと嘆息したのですが、日頃の行いが良いからなのでしょうか、ある日をさかいに徐々に腎臓の働きが改善して血液透析を行わなくても問題ない状態まで回復されました。

 

退院後は私の診察に通っていただくようになり、いつも変わらず穏やかで、それでいて「先生、今度はあんな大変な治療はなさらないでね。私はもう十分生きたのよ、これ以上ご迷惑はかけられないわ、約束よ?」自分の最期についてだけは強い意志を固めておられました。

 

ご高齢のこともあり病状は不安定で、その後も数回は入院されましたが、幸いにご本人が心配しているほどの大変な治療は必要にならず退院できる状態に回復していました。入院するたびにご本人からは「先生約束よ、覚えておいてね」と変わらない御意志を伺いました。

 

昨年の暮ぐらいに、同じように入院されました。その時だけはいつものご様子と違い「先生、わたし死ぬのかしら?」と気弱なことをおっしゃいました。どうしたのかと思い「もし、お考えに反さないのであれば、手を尽くしてお助けしますよ」と答えると「本当?先生、今回はお願いしてもいいかしら」とおっしゃいます。

もし明日までに改善する気配がなければ、人工呼吸器や透析の機会なども使って治療を進めようと構えておりましたが、やはりこれも日頃の行いのよさなのでしょうか、次第に病状が回復し始め、結局ご本人のいうところ「たいそうな治療」はする事もなく病状は良くなりました。

退院される時に「今回はどうしましたか、本当は何かまだやり残したことがあったのですか?」と尋ねると「実はね、孫(男性)が結婚することになったのよ。少し前にお嫁さんにも会ったの、良い方だったわ。できれば二人の式をこの目で見たいと思って。こんなに長生きしただけでも十分なのに、欲張りね」とおっしゃるのです。

 

医者だからといってどうにもならない病状は多いのですが、この時ばかりはこの希望を叶えられなければ主治医の名折れだと思いました。かといって、できることは正直あまりなく、わたしに出来たのは毎月診察にきていただいて「大丈夫、お望み通りになりますよ」と弱気にならないように励ますことぐらいでした。

 

この秋、お孫さんは結婚されると伺っておりました。このおばあちゃんには結婚式予定日の2週間ほど前にお会いして、そのときはいつもとお変わりないようでした。「今度は結婚式のお話を聞かせてくださいね」と次回の診察の予約をとりました。ですが、そのおばあちゃんとその後お会いできておりません。

 

おそらくは天寿を全うされたのだろうと思います。良い結婚式をご覧になったのだろうと信じております。


長生きする事が必ずしも幸せではないと思いますが、自分のしたいことのために頑張って生きる。こんな素敵な長生きならいくらでも応援したいと思います。