できる事をやるしかない

アラフォー妻子持ち医師のなんとなく思っている事

下を向いて生きています。お医者さんになってもそれほどハッピーな毎日を過ごしていません。

センター試験の季節が来るといつももうそんな時期か、と一年が過ぎたことを感じます。自分の中では大学受験、医師国家試験がとても辛かった思い出として残っており、いつになってもこの時期が来ると当時のことを思い出します。自分がセンター試験を受けたのは18歳と19歳の時(一浪しましたので)ですが、気づけば40才間近、センター試験を受けるまでの人生よりも受けてからの人生の方が長くなりました。新聞で今年の問題を見ても、解けない問題ばかりになりました。使わない知識は忘れるもの、少なくとも、当時勉強した事は今の自分にはあまり必要のない知識だったようです。
 
医者になって15年が過ぎようとしています。医者になりたての頃は知らないことばかり、できないことばかりで、無知・無力に打ちひしがれ、不安にかられ、少しでも自分の気持ちが楽になるためにと思って知識と経験を増やそうと思いました。患者さんを良くするために、医者としての力量を磨いたわけじゃないの?と問われれば、患者さんの「なんとして欲しい」気持ちに対して、病気を治せない自分、苦痛の原因を突き止められない自分、医者としての期待に応えられない自分が、責められている様で咎められているようで、息苦しくて、そこから少しでも解放されたくて医者としての能力を高める努力をしていたと思います。
 
正直なところ、患者さんやそのご家族から叱責される事はあまりなかったですが、一緒に働く看護師さんからは「この医者こんなこともできないのか」という冷たい視線を感じることがしばしばでした(その看護師さんはそんな風に思っていないかったかもしれませんが、当時の自分は劣等感でがんじがらめになっていって、そういう風にしか考えられませんでした。)
 
今は医者としての立ち振る舞いや通り一遍の仕事はできるようになり、新しいことを知る喜びも減り、つらいことにもなんとなく慣れて感覚が鈍くなったような感じで漫然と働いています。医者としての毎日が精彩を欠くといいましょうか、5年位前からずっと同じところにたたずんているような感覚です。一方周りにはそうは映らないようで、病院の職員さん、身内親戚、友人、知人、およそ周りの人からは「お医者さんなんて羨ましい」と良く言われます。ですが、劣等感まみれの自分はお医者さんでよかったと感じた事はあまりないのです。
 
自分の力ではどうにもならない患者さんに出会ったとき、他の先生に相談し、力を借ります。そういうシーンはどこの医療現場でも日常茶飯なのでしょうが、もうこの時点で自分は劣等感の海におぼれるのです。ただでさえみんな忙しいのに、自分の力が及ばないばかりに他の先生の手を煩わせてしまった、自分は使えないやつだと思われているんじゃないかと思ってしまうのです。
できもしないことを抱え込んで、問題がこじれてから誰かに助けを求めるのは、人の命を預かる医療現場では最悪の事態です。ドラマなら「どうしてこんなになる前に誰かに相談しなかった!?」などと上司に罵声を浴びせられるシーンがありそうですが、そんな風に事態が悪化すると予想していたら当然、誰かに相談するわけで、取り掛かった時点では予測できない事態だったのです。
では、自分の経験や予測はアテにならないから、とりあえず何でも早め早めに誰かに相談しようとなると、いずれ思考停止になります。自分で考え出した推論が役に立たない前提なので、もはや考える意味は無く、自分の目にしたものを忠実に誰かに報告し意見を仰ぐだけの人間になってしまいます。それはもはや医者としての役目を失っています。結局、自分で判断を下せない医者は、誰かの仕事を増やすだけの使えないお荷物扱いです。
 
良くない状況に陥ったとき、周りが自分を非難しても、避けられない出来事だった、結果として状況は悪化したが、自分の下した判断は妥当だったと考える医者はたくさんいます。100人の医者がいて、90人が「それは間違っている」と評価するようなことを「自分は悪くない」と言い張るのはただの開き直りですが、結果だけをみて、後出しじゃんけんのように「こうしておけばよかったんだ」という意地の悪い医者もいます。
 
誰がやっても同じ結果を迎えただろう事についてはあまり落ち込む必要はないのだと頭では理解しています。ですが、劣等感まみれの自分は、もし自分でない他の医者なら勘が働いて、もしくは初めから正解を導き出していて、もっと良い結果にたどり着けたのではないかと考えてしまうのです。
 
患者さんの治療が上手くいって元気になったとき、患者さん・ご家族からお礼の言葉をいただくことがあります。ですが、わたし程度の医者が治せる病気は他のどの先生でも治せたでしょう。ひょっとしたら、何もせずとも時間がたてば自然と治っただろうものを、私がさも病気であるかのように診断したが為に、無用の治療を受けさせられたのかも知れないと私は憂慮するのです。
 
いつから自分はこの劣等感の海でたゆとうているのか、思い起こせば大学受験の時だろうと思うのです。
小学生の高学年で良い担任の先生とめぐり合い、勉強してテストでよい点数を取って、ほめられることがうれしくて、勉強が楽しくなりました。その先生が次にお世話になる中学の担任の先生にも声をかけてくださったようで、中学校で人前に立つような立場になるとは自分では考えていませんでしたが、生徒会へ参加させてもらったり、学力向上へ発破をかけていただいたりで、学年ですこしは知られる存在だったと思います。おかげさまで高校は県内有数の公立進学校へ進むことができました。
 
ですが、高校生にもなって、自分はまだ何も分かっていなかったのです。
それまでは、学校生活にしても勉強にしても、こうすると成長できるよ、と誰かが道を示してくれていて、自分では特に考えずただ言われた事をこなして成果を得ていただけでした。自分で計画し、目標を立て成功を収めたことは一度も無かったのです。
 
高校では同じ試験に合格した人たちばかりなので、自分だけ学力が高いということはなく、絶えず努力しなければ自分だけが取り残されていくことを分かっていませんでした。良い高校に合格したことになんとなく満足してしまい、ひどく悪い成績をとらなければそれなりに良い大学へ進めるのだろうと思っていたのです。
 
結果、高校3年生の大学受験は散々な結果で、一年浪人してかろうじて医学部へ進みましたが、受験を通じて、できる人間とできない人間はここまで差があるのかということを痛感しました。
身の程もわきまえず、医学部受験の時には東京大学や慶応大学などの超難関を目標に掲げたりもしましたが問題集を開いて愕然としました。問題が解けないのならばまだしも、設問の意味が分からないのです。
例えば「道の真ん中で子供が泣いています。あなたならどうしますか?」と聞かれれば、どうしてないているのか尋ねる、など答えようがあるのですが「あなたが正しいと思うことについて教えてください」と聞かれたら何から話せばいいのか悩みますよね。上手く表現できないのですが、文の意味自体は分かります、何から話始めて、どこに着地させれば上手く収まるのか、取っ掛かりが無さ過ぎて途方にくれるのです。
 
自分には意味すら理解できなかった問題に正解して合格する人たちがいるわけですから、もはやそこには越えられない壁があるとしかいいようがありません。あの受験勉強の時、自分は波にさらわれて劣等感の海におぼれたのだと思います。
 
幸いにもそれなりに有名な大学の医学部に進学し、悪くはない成績で卒業しましたが、今ここには居ないだけで桁違いに優秀な医者が世の中にたくさんいて、たいしたことない自分の精一杯の医療も、ある日そういう優秀な人たちに知られたとしたら、この医者はこんなレベルの低い診療をしているのかとあきれられるのではないかと思うと恐ろしいのです。
 
なんだかんだいっても、高校に入った頃から自分の進むべき道を見失った自分が愚かだっただけで、誰も悪くはないのです。自分が被害妄想にとらわれているだけで、優秀な多くの医者は私のような取るに足らない医者をとやかく言うよりも、他の先生が治せなくても自分が何とかしようと広い心で患者さんを助けてくれいるはずなのです。
 
医者を続けていればこの感情からは逃げられないと思います。とはいえ、仕事を変えたとしても劣等感はなくならないでしょう。同じことに携わるほかの人と常に比べて自分の至らなさを嘆くのはもはや染みついた生き方なのです。
 
この劣等感から解放されるには努力して努力してどこに出ても恥ずかしくない医者になるか、自分はコレでいいんだ、この程度の医者でも何とかやっていけるんだと開き直るしかなんだと思いますが、どっちもできないから未だにこんなことをつぶやいています。
 
できるだけ努力して、新しいこと正しいことを身につけようとは思っています。ですが、毎日のように新しい情報が目に飛び込んできて、あれも知らない、これも知らない、医療の世界には本当に自分の知らない事が沢山あふれているのです。世の中にはそれらを当然のように知っている医者もいるのです。自分には意味すら理解できない問題に直面したあの受験の時のように、今も自分には到達できないレベルで活躍できる医者が沢山いるかと思うと、立つ瀬がないのです。
 
今になって20年も前の大学受験のトラウマを引きずることになろうとは当時は思いもよりませんでした。つくづく、学生は勉強しておくものだといまさらに反省しています。