できる事をやるしかない

アラフォー妻子持ち医師のなんとなく思っている事

主治医と呼ばれるからには

「主治医(しゅじい)」と聞くとどんなイメージをもたれますか?
自分の治療を担当してくれる先生、でしょうか。

医学は日進月歩、一人の医者のチカラには限界がありますので、タッグを組んで知恵を出し合って治療に当たります。その時中心となるのが主治医といった感じでしょうか。患者さんと一番接する機会が多い先生ですね。

ですが、主治医によって治療の方針や内容が大きく変わることはありません。肺炎と診断されれば誰が主治医でも同じように抗生物質を使った治療になりますし、血圧の治療であれば使う薬も、どこまで血圧を下げるのかなども主治医によらずほとんど同じになると思います。

もちろん、専門性の高い病気の診断・治療や、手術の関わる治療は主治医毎の経験・技量の差はあるかもしれませんが、自分の手に負えないと思ったものをあえて専門科に紹介せずに自分で治療することはありませんし、専門の先生が集まる病院であれば、やはり主治医が誰かによらず同じ治療方針になるでしょう。


では、誰が主治医でもいいのかと言えばそんなことはありません。

私が思う主治医の役目は
「患者さんの人生のマネジメントを手伝うこと」
だと思います。

例えば、旅行に行くときにガイドさんがいるツアーに参加すると、自分に予備知識がなくても、名所、オススメの体験を案内してくれますね。準備不足で個人旅行をすると「あのスポットも見てくればよかった」「こんな体験ができるところがあったのか」などと思い残しがあるかもしれません。

病気については主治医がガイドさんのような役目をすると思っています。
「この病気は将来こんなことが起こる」
「この治療にはこれぐらいの時間がかかる」
患者さん本人が意識していない、これから先のことまで見通して治療方針を立て、後から「あの時にそうだとわかっていれば!」と後悔のないように治療方針を相談出来る相手が主治医の一番の役目だと思います。


若い方でもともと元気な方が病気を患った場合、よほど特殊な事情、もう手のつけようの無い進行したガンとか、今の段階で治療法の無い難病などを除けば、できうる限りの治療を行うのが当たり前だと思います。

ご年配で余病が多く、この先どの病気が命に関わる問題になるか予想がつかないような方だと治療方針に悩みます。
例えば80歳の方で、心筋梗塞の後遺症ですでにかなり心臓が弱っている方が、ガンを患っていることがわかった。ガンそのものは治療できる状態だったので頑張って手術した。治療で体力を消耗したけれども、リハビリを頑張って1ヶ月かけて退院にたどり着いた。その2ヶ月後に心臓が悪化して心不全で亡くなった。と言うことは珍しくありません。

ガンの手術の負担が大きすぎて心臓が、体が治療に耐えられなかった、退院までたどり着かなかったと言うのであれば治療方針が間違っていたと思われますが、そうではありません。
おそらくガンは治療しようがしまいが、同じ時期に心臓が限界を迎えて最期を迎えた可能性が高いと考えられます。だとすれば、苦労してガンの治療をする必要はなかったのかもしれません。

もし、主治医が「治療頑張りませんか?」といえばそうした方が良い様に感じるでしょうし、「これは慎重に考えた方が良いですよ」といえば、治療を思いとどまるかもしれません。


ご高齢の方、余病の多い方の場合は、今そこにある病気を治すか治さないかと言う考え方ではなく、どう付き合うか、を考える必要があります。
その病気が命取りになるのであれば治療を考えますし、そうで無いのならあえて手を出さないでそっと見守るのも一つの治療方針だと思います。

ですが、患者さんやご家族からすれば、病気は治した方がいいと思うもの。それをこちらの経験も踏まえてどうするのが一番納得できるのか、予想される可能性を考えた上で決めるべきだと思います。


多くの患者さんは病気に関して素人で未経験者です。
たかだか40そこそこの医者でも、人生の先輩である患者さんから「先生」と呼ばれるのはなぜか。医者が患者さんよりも病気やその行く末について知識と経験があって、納得できる選択の手伝いができるからなのだと思います。

医者は同じ病気で色々な経験をされた他の患者さんの事をたくさん知っています。
不幸な目にあった方も少なくありません。
次に会う、同じ病気の方には、できれば辛い思いをして欲しくありません。
治る、治らない、治療に取り組む取り組まないは別として、病気について「知らなかった、知っていたらやりたかった(やりたくなかった)」という事だけは無いように、主治医として患者さんにお話したいと思っています。